2010年09月04日

弓削孟文『手術室の中へ』集英社新書

手術室の中へ ほとんどの手術には痛みが伴うため、麻酔はつきもの。しかし、麻酔も身体を傷つける「侵襲」行為だということには、あまり関心が払われていない。全身麻酔は痛みを感じさせなくすると言う利点を得られる代償に、呼吸をする、心臓を拍動させるといった生命維持に必要な活動を抑制させてしまうのだ。もちろん、人工呼吸器を着け、万全の態勢で手術に臨むのだが、絶対に何も起こらないとは言い切れない。そのことを理解していない患者は安易に全身麻酔を希望する。そこで麻酔科医が登場し、メリットとデメリットを説明し、また、局所麻酔や硬膜外麻酔といった様々な方法も紹介し、最善を探っていくということが行われる。さらに、麻酔科医は手術中も患者のそばにいて身体の状態の変化に目を光らせている。こういった陰の働きがあるからこそ安全が保証されるのだなと感じた。また、患者自信もある程度は知識を持ち、医師の説明を理解できる状態にいなければならない。 Amazon


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上原善広『聖路加病院訪問看護科』新潮新書

聖路加病院訪問看護科 病院で入院患者の世話をするのではなく、患者宅を訪れてやや高度な医療行為までも行う訪問看護。その現場に密着したルポである。私は記憶にあるだけでも二回の入院経験があるが、手術後の衰弱した心身を支えてくれる看護師には感謝の気持ちとともに尊敬の念を抱いたのを覚えている。私の場合は外科的な手術であり、看護が終われば日常生活に復帰できるのはほぼ確定的だったが、訪問看護はそうはいかない。もともと重篤な状態で死を迎えるまでの間を家で過ごしたいであるとか、社会生活が不可能なので病院でも家でも変わりがないという患者がほとんどであるため、看護の終わりは死を意味しているのだ。こんなむなしい結末が見えている仕事のやりがいとは何なのだろうと考えさせられた。近年、QOL(クオリティオブライフ)ということが重視され、「よりよく生きる」という風に考えられがちだが、このような患者にとっては「よりよく死んでいく」こともまた重要なのだということが書かれていた。まさにその通りだと思うし、そのために、もっと訪問看護という取り組みが広がっていくべきだと思う。 Amazon
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星野一正『医療の倫理』岩波新書

医療の倫理 科学の進歩とともに、医療技術も発達し、従来では考えもつかなかったことが可能になった。しかし、その遂行にあたっての判断基準というものが確立されていないがゆえに悲しい結末を引き起こすということも同時に発生している。端的な例が臓器提供であり、人間がどういう状態になれば臓器を摘出していいのかという倫理がそれにあたる。また、多様な治療法がある場合、医師が独断で選択するのではなく、患者に提示と説明を充分に行い、理解し選択してもらう(いわゆるインフォームドコンセント)ことも主流となってきている。この本ではそういった医療の場における生命の扱い方や治療の進め方について詳しく解説してくれている。興味深かったのは献体の話で、これはもう死の判定は通り越した上でのことだが、日本人は献体の提供数が他の国に比べて非常に少ないのだという。その理由は、「死んだあとでも自分の身体を誰かに念入りに調べられるのは恥ずかしい」「目立つようなことはしたくない」といった羞恥心や、遺族の「死者を懇ろに弔わなければならない」という責任感によるものではないかという。私は死んだあとの「自分」など無いものだと思っているから好きにしてもらって構わないが、遺族の思いまでコントロールできないのもまた事実であり、悩ましい問題だと感じた。先の臓器提供の話にしろ、制度として社会的に確立されればよいのかもしれないが、国民の同意がとれるとも思わないし、壁は多そうである。 Amazon
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