2011年09月24日

内田樹『街場のメディア論』光文社新書

街場のメディア論 「日本人の知性の不調とメディアの不調は同期している。」このお題目を掲げて、持論を展開する。興味深かったのは、クレーマーの増加とメディアの報道姿勢に因果関係があるとする点だ。クレーマーは、自分の能力の欠如や無能を棚に挙げて、最大限の受益をもくろむ。そのこと自体がそもそも人間の態度としては間違っているのだが、メディアはそれをさらに助長する。「弱者」や「被害者」の立場に立ち、権力のあるものを攻撃する側に回るのだ。しかし、メディアのメディアたる所以は、社会のありとあらゆる情報を収集、掌握し、適切に伝えることのはず。それなのに、「弱者」や「被害者」に選択的に有利な情報しか伝えないため、非があるのは一方的に権力を持つ側という構造を生み出している。そして、もう一つの問題は、メディアがそれをまた放置しているということだ。「弱者」や「被害者」の立場にとりあえず回ることは、社会的機能として間違ってはいない。そうでなければ、異議申し立てをする場が生まれないからだ。ただ、「とりあえず」を過ぎたあと、やはりどう考えても「弱者」や「被害者」に非があることが明らかになれば、メディアはそれを誠実に伝えなければならない。しかし、そういう動きは皆無だ。権力者に非があるということを垂れ流すばかりで再検討もなにもない。だから、「弱者」や「被害者」は悪くないという印象しか残らない。この風潮が蔓延することで、日本社会がよくなるということを本気で信じているのか。だとしたら、メディアの不調はもう取り返しがつかないところまできている。 Amazon


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内田樹・甲野善紀『身体を通して時代を読む―武術的立場』文春文庫

身体を通して時代を読む―武術的立場 お次は武道家と対談。この人のすごいところは、どんな人と話しても、自分の引き出しの中にあるものと関連させて新たな知見を見いだせることだと思う(もちろん、対談する相手はそれなりに選ばれてはいるのだろうけれど)。話題は多岐にわたっているが、やはり、身体論が面白かった。「ハンカチ落とし」を例に引き、身体的な感受性の話。この遊びは、微妙な空気の揺れや、鬼の息づかい、筋肉の動きを感知しないといけないのだが、その能力が格段に落ちてきているのではないかという。確かにその通りで、人間は便利な生活を手に入れたことによって、身体の様々な能力を失ったとつくづく思う。天気予報の精度が上がれば、雲の形や動き、空気の湿り具合を見て天気を予想することもできなくなるだろうし、高度浄水機能ができれば、体内で不純物を浄化する機能も低下していくだろう。科学技術に支配されない生き方をしたいものである。 Amazon
posted by ryoukana at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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